ローマ帝国やスペインに翻弄されることになります

シエナのドゥオーモに

イタリア人は働かないのかと思われてしまうが

ネロ

3768時は紀元後37年、日本はやっと中国史に倭国として登場し始めた頃です。
第4代ローマ帝国皇帝クラウディウスの5度目の結婚相手は、こちらも3度目の結婚をなすアグリッピーナ。
彼女は連れ子とともに皇妃ととなるのでした。そしてまもなくクラウディウス帝は死亡。そしてアグリッピーナによる皇帝毒殺説がささやかれるなか、この連れ子がネロ·クラウディウス·カエサルとなのって第5代皇帝に就任。
時にネロ16歳、悪名高いネロ帝の誕生です。しかし最初から強暴な皇帝ではありませんでした。詩と音楽が好きな青年で、死刑執行のサインをしぶり字が書けねばよかったと嘆いたこともあったとか。
ところが、在位3年目から女遊びが評判になり、ネロは先帝クラウディウスの娘つまり義理の妹のオクタウィアと結婚するのでした。
この結婚に母アグリッピーナが猛烈に反対。母がうとましくなったネロは、母を幽閉し、次いで殺害を命ずるのです。
最初毒殺しようとしたのですが、用心していた母が解毒剤を飲んで助かります。

ところがこれらの素晴らしい大理石に覆われた建築物は、すべて後年の世代に建材用として大理石がはがされ、今ご覧戴けるローマやポンペイの遺跡のようにレンガの建築物へと戻るのでした。
さらにこのアグリッパが乙女の水道建築に取りかかります。この時代ローマの町には計11本の水道がありました。実は今でも乙女の水道はかのスペイン広場にあるバルカッチャの泉そして有名なトレヴィの泉そしてダンブラウンの映画、天使と悪魔にて枢機卿が殺されかけた噴水、四大河の泉に流れているのです。

キリスト教徒ローマ帝国の戦い

さて、地中海沿岸のほとんどの世界を征服したこのアウグストゥス統治時代に、そう、キリストが誕生するのでした。
キリストが誕生した場所は、今の中近東のパレスチナのベツレヘム。
この時代のベツレヘムももちろんローマ帝国の支配下にあったのでした。
この時代の中近東の人々は皆ユダヤ教を信じるユダヤ人。しかしこのユダヤ教のしきたりに矛盾を感じたキリストは、自分の信念を貫き、そしてユダヤ教ファリサイ派が押し通す立法に真っ向から対立してゆくのでした。
この世で一番貴い人は皇帝ではなく、神だというのが彼の信念。そして正しい行いに、いちいち細かい立法を当てはめる必要などない!という考え。これが故にローマ帝国への反逆罪ということで磔刑されるのです。しかし実際の理由はこの時代の宗教ユダヤ教への反逆罪でした。詳しくはアマゾンにて誰でもわかるキリスト教をご覧ください。キリスト磔刑後、彼は予言通り3日後に復活し、弟子達に全てを伝授しそして40日後に昇天します。

と言う流れです

その後イエスの言葉を語り継ぐのが、キリスト教発祥となるのです。
このキリスト教布教に欠かせない人物が二人。聖ペトロキリストの弟子であった聖ペトロは、このローマ帝国の中心であるローマへ、キリスト教布教のために赴きます。
しかしもちろんのこと、迫害されない訳がありません。その理由はとても明白。ローマ帝国では皇帝が番でなくてはいけません、しかし、キリスト教は神が番というではありませんか。
張りつけの際に、イエスと同じように十字架に張りつけられるのはめっそうもないと、逆さ十字を希望、そして殉教。
その遺体があるところが、そう、今のバチカン市国、サンピエトロセイントペトロ、聖ペトロ大聖堂なのです。
それが故に、ローマの中心に、ローマ帝国が迫害してきたキリスト教総本山、バチカン市国が存在するのです。
そして彼はイエスより、天国に昇るための鍵を預けられた人なので、彼の象徴アトリビュートは鍵。
そして下記の写真をご覧ください。この大聖堂の前に広がるサンピエトロ広場の形は鍵穴の形をしているのです…聖パウロ彼は実はクリスチャンではありませんでした。
彼はローマ帝国の将校で、さらに、激しいキリスト教迫害者だったのです。

2階の階にあたる単語にも使う


ヨーロッパのカトリック教会を脅かしていたからギリシャ文化のようにそれだけではなく、キリスト教迫害の指示を促す帝国からの手紙を、今のシリア、ダマスカスに届ける道中でした。
そんなパウロのもとに神が現れるのです。「パウロよ、なぜ私を迫害するのか??」その瞬間、彼の目が見えなくなり、ものを食べることも、飲むことも、言葉もはなせなくなってしまったのです。
そんなおり、イエスが信者アナニアのもとに現れ、パウロを助けるように促します。
そのためアナニアのもとで介抱されたパウロ。そしてなんとキリスト教に改宗し、その後熱烈なクリスチャンへと。
するとどうでしよう、突然彼の目が見えるようになったのです。このエピソードが今の”目からうろこ”の語源となるのだそうです。
この時代クリスチャンには割礼が強制されておりました。そう、今でもユダヤ教徒の間で行われる、男児幼児に行われる割礼。
しかしパウロはこの割礼を強制しなかったのです。これがゆえに、これだけ世界中にキリスト教が布教したといわれております。
そしてこのような迫害から逃れるために、キリスト教徒は世界中にちらばり、そして世界中に布教が広められていくのでした。
聖者と呼ばれるようになり”アトリビュート”と呼ばれる象徴するものをそれぞれ持ち、またそれぞれのエピソードに絡んだ物の守護聖人となっていくのです。
また迫害されて殉教したものたちは、このように、これから先紀元後395年のローマ帝国東西分裂、そしてキリスト教を国教として認めるまでの長い歴史は、ローマ帝国によるキリスト教迫害の歴史となってゆくのでした。

パッケージや流通コストもかなり影響しているのではないだろうか

ネロ

3768時は紀元後37年、日本はやっと中国史に倭国として登場し始めた頃です。
第4代ローマ帝国皇帝クラウディウスの5度目の結婚相手は、こちらも3度目の結婚をなすアグリッピーナ。
彼女は連れ子とともに皇妃ととなるのでした。そしてまもなくクラウディウス帝は死亡。そしてアグリッピーナによる皇帝毒殺説がささやかれるなか、この連れ子がネロ·クラウディウス·カエサルとなのって第5代皇帝に就任。
時にネロ16歳、悪名高いネロ帝の誕生です。しかし最初から強暴な皇帝ではありませんでした。詩と音楽が好きな青年で、死刑執行のサインをしぶり字が書けねばよかったと嘆いたこともあったとか。
ところが、在位3年目から女遊びが評判になり、ネロは先帝クラウディウスの娘つまり義理の妹のオクタウィアと結婚するのでした。
この結婚に母アグリッピーナが猛烈に反対。母がうとましくなったネロは、母を幽閉し、次いで殺害を命ずるのです。
最初毒殺しようとしたのですが、用心していた母が解毒剤を飲んで助かります。

この配色と複雑な幾何学模様の組み合わせは初めてだった


キエティ県の一部にまたがり
二度目は舟遊びのとき、舟から突き落としたのですが、泳ぎのうまかった母は泳ぎついて助かります。
刺客に襲われて命を落とすのです。ついに3度目、邪魔者の母がいなくなると、ネロは貞淑な妻に浮気の罪を着せ、離婚しそして処刑します。
そうしてポッパエアと結婚するのでした。皇妃ポッパエアは派手好みで有名で、国費を乱用し、それを補うために植民地に重税を課しました。
贅沢三昧が好きなネロ帝夫妻は、目もくらむような黄金宮殿の建設を考えつくのです。
ところがローマの中心地にはもう空いている土地などあまりなかったのです。
土地を物色している頃、紀元後64年7月、ローマで大火がおきました。
歴史に残る大火事で大半が焼け野原になったのです。消火後、ローマではネロが火をつけた…という噂が町に流れたのでした。
火事の原因は不明で、ネロは濡れ衣だったのかもしれません。ところが、このうわさを打ち消すためにか、ネロは大火の犯人を仕立て上げたのでした。
当時、ローマでの新興宗教、そう、キリスト教の信者に罪をなすり付けたのでした。
こうしてローマにおけるクリスチャンの最初の迫害が始まるのでした。
大火がおさまるとすぐ、ネロはローマ発祥七丘の一つエスクイリーノの丘の近くに4万平方メートルに及ぶ広大な黄金宮殿ドムスアウレリアを建てたのでした。

ローマ皇帝ディオクレティアヌス時代に造られたディオクレティアヌスの橋

円形の食堂はどういう仕掛けだったのか、昼も夜も常にまわっていたというし、人工湖を創って海水を運ばせたり。
死後この湖が枯れたところに建てられたのが、そう、今のコロッセオなのです。
この頃スペイン、ドイツなど植民地でネロを打倒する反乱が次々とおきます。
元老院もさすがに打ち捨てておけなくなり、ネロを公敵と断罪します。
そして宮殿を逃れたネロは友人の家でなんと惜しい芸術家が失われることかとつぶやいて喉を掻き切り31歳の人生に幕を閉じるのでした。
在位は4年間。ここでコロッセオについて今ではローマの観光に絶対に欠かせないコロッセオ。
市民への娯楽として剣闘士を戦わせた闘技場です。また残虐な歴史として、キリスト教を迫害するために猛獣と戦わせていたとも伝えられております。
はじめのうちは奴隷同士を戦わせ、それが後に奴隷の職業となり、はてには市民に人気のある優れた剣闘士が現れるのです。
このように剣闘士として人気が出てきた者は、のちにローマの市民権が与えられるようになります。
また、残虐さが追求され始め、後には剣闘士と猛獣による戦いが繰り広げられるようになります。
これらの場面は映画ラッセルクロウのグラディエーターまた、チャールトンヘストンのベンハーなどでご覧戴けます。


ギリシャ文化のように この地に根をおろしたとする説もある パレルモから海岸線に沿って